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漫画におけるニューウェーブは、1970年代末に日本の青年漫画界に現れた、少年漫画と少女漫画、劇画の枠組みを乗り越えるような動向を言う。1960年代以降、日本の漫画界は一部の実験的な漫画誌を除いて、「少年漫画」「少女漫画」「劇画」「大人漫画」の4つのジャンルにはっきりと分かれていた。だが1970年代の末に、『JUNE』『少年少女SFマンガ競作大全集』『別冊奇想天外SFマンガ大全集』(のち『マンガ奇想天外』)『PEKE』(のち『コミック・アゲイン』)『漫金超』など、強い個性を持つ既成作家や同人作家の作品で構成されたマイナー誌が相次いで創刊された。 これらの雑誌に作品が掲載された漫画家は、既成のジャンルを乗り越えた漫画家と認知され、漫画批評家に盛んに取り上げられた。このような動きは、上記の漫画誌の休刊と、新たに創刊された『ヤングマガジン』『ビッグコミックスピリッツ』などの各青年誌に作家たちが移ったことにより終息した。 == 三流劇画ムーブメント == 当初からエロ劇画の世界で自分の世界を築き上げる作者も多かった。もちろん、エロでなければ描けない世界というものもある。また一つにはエロが必須であることを除けば、それ以外の表現はむしろ一般の雑誌より制約の少ない舞台が好まれたという面もあるらしい。例えばダーティ松本、北哲矢、村祖俊一、あがた有為、中島史雄、土屋慎吾、羽中ルイ、宮西計三、沢田竜二、三条友美、石井隆、小多魔若史などが代表的な作家であった。 石井隆らがエロ劇画でありながら高い評価を得るなど、エロ劇画に低俗である以外の評価が与えられる例が出始め、一種のエロ劇画ブームが見られるようになった。そのような状況の中から、1978年(昭和53年)に三流劇画ムーブメントが起こった。 これは、当時の三大エロ劇画誌と言われた『漫画大快楽』『劇画アリス』『漫画エロジェニカ』の編集者(亀和田武、高取英ら)によって打ち上げられたもので、言わば学生運動のような革命思想をマンガ雑誌の世界に持ち込んだもので「劇画全共闘」とも呼ばれた。 彼らによると、当時の漫画雑誌界にははっきりとした階層があり、一流から三流までが区別される。一流は『ビッグコミック』を筆頭とする有名誌であり、それに続く一般漫画誌が二流で、三流がエロ劇画誌である。ところがここでの一流は内容においてあまりにも保守的で一切の変革を求めない。そして二流三流でデビューし、実力をつけた作家をつまみ食いにしている、と言い、このような状況を打破するためには三流をもって一流にしなければならない、といった主張がなされた。これらの主張や、『ガロ』の作家川崎ゆきおの起用、またSF、ロック、プロレスなどの評論コラムを掲載するなど、エロ劇画誌の固定観念からは離れた自由な誌面が作られていた。1978年には「11PM」で三流劇画の特集を組み、1979年には『別冊新評』で「三流劇画の世界」が出版された。 彼らのエロ劇画誌の本分を逸脱した編集方針により、吾妻ひでお、いしかわじゅん、諸星大二郎など彼らに共鳴するメジャー作家や、芸術性が高いばかりに一般誌には受け入れられないニューウェーブと呼ばれた若手作家たち(ひさうちみちお、蛭子能収、宮西計三、平口広美、奥平イラ、まついなつき、高野文子、山田双葉(山田詠美)、さべあのまなど)に実験的な作品発表の場が提供され、これらによる名作が生まれた1979年頃までは「エロ劇画ルネッサンス」とも呼ばれる。こうした潮流は橋本治、飯田耕一郎ら理論派の論客や奇想天外や宝島などのサブカルチャー雑誌を巻き込んで展開されたが、彼らの目指したところはいわゆる一般読者の支持を得られず、亀和田の『アリス』は1979年に休刊、1980年には『大快楽』の編集者は退社、『エロジェニカ』の出版社が倒産に至る。エロ劇画誌における評論や冒険的な編集姿勢は『劇画ハンター』『ラブラブ』『映画エロス」などの諸誌にも広がったが、高取のエロジェニカからの撤退を期にほどなく収束していった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ニューウェーブ (漫画)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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